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ふと思ったこと【追記あり】

いつも通りに乱文雑文ですよ。

日本のWorldCupが終わり、色々と言われてるがその中で気になったこと。



「個人の能力を上げる」



これって、98年仏大会直後に議論され出された結論の中の一つだったはずだ。
だからこそ個人能力に長けた、例えば当時清水のアレックスの抜群の突破力に注目し帰化を多くの方々が望んだという経緯があったはずだ。
なのに、今さらそんなこと言わなくてもね・・・。
ま、これはサッカーが変化しに行くにつれて常に言われることだと思うけどね(笑)

そして、2002年トルシエは“組織”を重視した。しかし、トルシエは結局、組織という規制から自ら解放できる選手を好み、そういった選手をスタメンで多く使ったという側面もあった。

次に、2006年ドイツを目指したジーコ。
メディアは彼の目指すサッカーをこう言った。
「組織の判断ではなく、個々の判断で行う自由なサッカー」
ジーコは“自由”を重視した。
しかし、彼は何にもしなかった。槍を持って戦車に突っ込むぐらいの無策で大会を去り、去り際には「私のチームにロナウドがいれば…」と平気に無責任な発言をした。


結局、トルシエにしろジーコにしろあまりにも極端すぎるのだ。

サッカーはチーム全員でするものだ。つまり、全体主義なのだ。
しかし、選手は一人ひとりが個人事業主でもなければいけないという側面もある。つまり、個人主義でもあるのだ。


ようするに、全体主義と個人主義という、ある意味で二律背反のようなものをどう整合させていくか?というのが監督の仕事の主なテーマになるのだ。

トルシエのように“組織”を重視し全体主義で、長い期間選手を規制しすぎたら、選手のキャラクターが失われる恐れがあるだろう。

ジーコのように“自由”を重視し個人主義で、長い期間選手を解放しすぎると、チームとしてのまとまりがなくなり選手達は飽和状態になるだろう。


今後は、このような極端な監督人選はやめて欲しい。
「個々の能力を上げる」には、当たり前のことだが所属クラブやJリーグで磨く必要があるだろう。

そして、日本代表チームに「個々の能力を上げる」事を期待しないで欲しい。無駄な強化日程はもういらない。
日本代表監督は「個々の能力を上げる」よりも全体主義と個人主義、この二律背反のバランスをうまく保って欲しい。

時には、個人主義を重視する時があるでしょう。そして、時には全体主義を重視する時もあるでしょう。監督には、バランス感覚が必要だ!

素晴らしく研ぎ澄まされたバランス感覚を持つ監督、求ム!





※試合での技術力について。
これは負けた相手があの化け物軍団ブラジルだから言われてしまうのか、しまわないのか。
これは精神面が大きいと考えます。サッカーは心理ゲームという側面もある。元鹿島の監督セレーゾは「サッカーはエモーショナルなものだ」と言った。
心理的・精神的にどれだけ優位にたてるか。敵にプレッシャーをかけられた時にどれだけ余裕を感じられるか。敵のゴール前でもそうだ。ナーバスになることはない。やはり、メンタル的な事が大きい。
だからといって、あまりにも技術力がないのはダメだがね。今大会の日本は、メンタル面があまりにも幼稚すぎたのだ。

※試合でのフィジカルコンディションの悪さについて。
これは、ジーコのマネージメント不足が原因だ。
例えば、シーズン初めのフィジカルキャンプでは、日本代表フィジカルコーチが行うのでこれは問題はない。
問題なのは、今大会での試合直前や試合と試合との間でのジーコが行う練習である。
彼の練習は、おそらく思いつきで練習開始し練習終了している。計画性がないので、練習で疲労を溜めたまま、試合を迎えることになるので、日本は後半半ばからフィジカルコンディションが落ちたのだ。
Jリーグのシーズン中、代表選手が代表から帰ってきてクラブに戻ってくると極端にコンディションが落ちる事が頻繁に起こっていたが、今大会のでフィジカルコンディション問題は、実はそれ以前に似たケースがあったのだ。

逆に、ジーコの練習メニューをあまり行わずにGKコーチと共に練習していた、GK川口能活はフィジカルコンディションが3試合通して良かった。足が細かく動いていて、川口特有の低い姿勢がうまく保たれていた。
なんとも皮肉だ。

※ジーコについて。
裸の王様だったな。
負け試合後のコメントは言い訳神様でしたね。

※会長川淵三郎について。
次期代表監督についての発言で、「ジーコのように個人の判断で自由を重視する監督。ジーコ路線で」みたいな発言をしていた。

あ゛ッ!!!!!!!!
個人の判断?? ジーコ路線??
自由???

サッカーてのは、最終的には個人の判断で自由にプレーせざるをえないスポーツなんだよ!!!!
ボール持ったら、右にパスするのかドリブルするのか、監督の指示を待たないといけないのか?違うだろう。いちいち指示待ちしないだろう。そこでは自ら判断し勇気持ってプレーしないといけない。それがサッカーだ。
川淵は、それともトルシエ時代はそんな指示まで“組織”という名の規制があったとでも思ってるのか。おかしな話だ。

そんな思考の川淵は、いい加減監督選びに口を出さない方がいいだろう。
そして、日本代表監督を評価する立場の技術委員会は、いい加減プロ監督経験者を委員会にいれてくれ。


【追記】
うまねんblogで私と似たような文章を発見。
●「規律」と「自由」、「決まり事」と「判断」は両立する。いや、両立せざるを得ない。
>「規律」と「自由」、「決まり事」と「判断」は両立する。いや、両立せざるを得ない。不毛な二項対立思考はとっとと放棄されるべきなのだ。
●本当に、本当になってくれるの?
>会見の中で川淵氏が・・・・・・・・・・・・・、「自発性中心」「ジーコの路線」って……なんかおかしくないっスか?


人格者の方々は、当blogではなくこちらをお薦めします。

  by el-tokyo.1999 | 2006-06-25 05:12 | ジーコを忘れない

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